相撲部屋に入門する新弟子のつらさ

新弟子が相撲部屋に入門するのは春場所が基本となっています。
これは卒業するタイミングと重なっているためであり、就職場所とも言われています。
一方、別の時期でも入門することはできますが、同期がほとんどいないため、肩身の狭い思いをするというのも事実です。新弟子になると、相撲教習所というところで相撲のイロハを学びます。
好きではない学校の授業から解放されたかと思いきやまた半年間学ぶことになるため、苦痛でしょうがない力士もいます。しかし、もっと苦痛に感じるのが部屋での稽古であるため、多少はそこから逃れられるため、ノビノビしている力士もチラホラいるのが現実です。
新弟子にとってつらいのは稽古や上下関係、規則正しい生活だけではありません。
食事面においても相当な苦労を重ねることになります。体重が軽いと迫力不足となり、なかなか上へあがることはできません。そのため、無理やりご飯を食べさせられ、胃がはち切れんばかりになるなど詰め込み、ただただ横になる生活というものを強いられます。食事が好きで大食いであるという人にはなんとも思いませんが、小兵力士ほどこうしたものに苦しみます。稽古の厳しさもありますが、それ以上に食事が厳しいのもポイントです。
大相撲 その礼法

起源は古代の神事にあるとされます。力比べの神話や一人相撲という形で今も残る儀式があります。
農耕民族である古代日本人の豊作を祈る神事が長い歴史を経て形を変え、現在の様式へとつながってきています。
新弟子は、儀式や歴史をしっかりと学ぶ必要があります。
大相撲の魅力は、潔さと芸術性あるいは神秘性にあり、様式美と礼法を兼ね備えているスポーツとして海外でも人気があります。力士は頭にマゲを結いまわしを締めて神聖な土俵の中で技と力を競い合いますが、土俵上での所作がもつ意味を知ることからはじまります。
土俵上で東西の力士は向かい合って噂距します。これは取組相手や土俵を敬い、精神を統一させる意味があります。次に柏手をうち、神様への敬意を表し、柏手を打った後両掌を上向けて横に大きく開き、その上向けていた掌をサッと下に向けますがこれは武器等もっていないことを示しています。

塩をまくのは、土俵上の邪気を祓い清め、怪我のないように安全を祈るという意味があります。
四股を踏むことの意味は、地中に潜む悪霊、害虫などの悪いものを踏みつけて土俵を神聖なものにするという意味を持ち、力士の力水は神が降りてくる土俵に対して水で穢れを洗い流し、身を清める意味があります。力士は水で口をすすいだ後吐き出しているのはこういう理由からです。
相撲の所作はそれぞれ意味がありその形が様式美となると共に、それぞれの美しい所作は稽古で身につけていくものですが、噂距の姿勢や四股はこれを十分に行うことで体幹を鍛えることにもなります。四股のきれいな力士は出世するとはよく言われることです。